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四季便りバックナンバー
 
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2017.12.26
2017年を振り返って思うこと…一言でまとめるとするならば、「新しいことに挑戦させてもらった年」と言っても良いでしょう。新しいことと言っても「木を使ってモノを作る」という基本は変わらないのです…と言うか、それ以外のことはできないもんで。

実際のところ、本当にうまく行くのかどうかもわからなかったのですが、「まぁ、やってみなけりゃわからない」ということで、試行錯誤しながらの挑戦が始まった年…だったと思います。「上手く行くかどうかわからない」と言いつつも、やるからには形にしない訳にはいかないので、試作品を作ったり、壊したり…で、ようやく見通しがついてきたというところで新しい年を迎えることになりました。ちょうど最終回を迎えた人気ドラマ「陸王」を見つつ、ちょこっと自分たちの姿を重ねたりなんかして酔い気分になっておりました。

具体的には詳しく話せませんが、まぁ超ニッチな分野なので、たぶんコレを「木」で作れるのは今のところ四季の家工房くらい…と言うかこんなモノ好きは他にはいないのでは?と思います。こんな挑戦をさせていただけるのも、人と人の繋がりあってのことと大変感謝しております。私たちの技術と機動力を評価してくださり、間を取り持ってくださる方との出会いや信頼関係を築けたことは、今年得た大きな宝物のひとつです。いよいよ年明けからは、本格的に製作が始まっていきます。

もちろん本業の家づくりも決して力を抜いたりするわけではありません。プランニング中の新築住宅の案件や大掛かりなリフォームの案件、DIYのお手伝いなど、年明けからわくわくする仕事がたくさん控えています。2018年も四季の家工房をよろしくお願い申し上げます。
  小野  
 
2017.11.01
今リフォームの時に「住みながら工事ができるか」あるいは「仮住まいを用意していただくか」…これは、お客様にとって大きな問題です。家全体を骨組みにしてしまうような規模の大きなリフォームだったら仮住まいもやむなしだし、一部分の間仕切りや設備の交換などでしたら、生活自体に影響がないのでそのまま工事ができます。

悩みどころはキッチンやお風呂などの改修を伴う水回りのリフォームの時なのですが、今ちょうどそのような水回り三点セット(キッチン・浴室・トイレ)のリフォーム工事を住みながら行っているので、そのあたりの対応にフォーカスしてご紹介をしてみたいと思います。

住みながらリフォームの対応 住みながらリフォームの対応着工前の作業として、工事のホコリが生活スペースに流入しないように、工事部分と生活部分を仕切ります。建具があるところは建具のすき間をテープで目張りしますが、建具のない開口部には合板でフタをした上でテープで隙間を埋めたりします。

一時的な工事であれば薄手のビニルシートなど簡易的な養生でも良いのですが、ある程度期間の長い工事の場合は工事中に穴が開いたりしないようにしっかりと区画を分けることが大切です。何せ薄板一枚へだてた向こう側では常に普段の生活があるわけで、知らないうちに穴が開いてて生活スペースにホコリが浸入…なんてことになったら大変なご迷惑をかけることになってしまいます。ですから、ある程度丈夫な仮壁を作る必要があるのです。

住みながらリフォームの対応 住みながらリフォームの対応そして、生活に必要な設備の確保です。まずは「一日三度の食事をどうするか」ですが、キッチンを撤去すると左の写真のような感じになります。

肝心なのはこちらではなく、はずされたキッチンを仮設の流し台として再利用して最後にもうひと働きしてもらおうってことです。今回は駐車スペースの大きな屋根があったのでここを使わせてもらって、仮設の流し台を設置しました。給水配管をつないで排水は付近の排水桝に直接落とせば当座の水くみや洗い物などに使っていただけるし、カセットコンロなどを併用していただけると、簡単な食事やお茶程度でしたらなんとか賄えると思います。同じ配管を使って洗濯機も回せますね。

次に「トイレはどうするか?」ですが、今回は昔からある外雪隠のあるお宅だったので、特にこれといって用意はしなくて済みました。でも、通常でしたら仮設トイレを設置させていただくことが多いです。なんともならないのがお風呂です。工事用の仮設ユニットバスもあるのですが、(工事期間などとの相談にもなりますが)たいていの場合は銭湯などを利用していただいております。…とは言っても、仮に1回500円だったとして、4人家族で10日間通うと2万円もお風呂代がかかってしまうことになります。なるべく工事を短縮することは、いろいろな意味でお客様の負担を減らすために重要な条件になってきます。

忘れてはいけないのが工事日程の設定です。工事期間をできるだけ短くして、お客様のご負担を減らすのはもちろんですが、工事をするってことは「一時的に外壁がなくなって内部と外部の仕切りがなくなってしまう」ということです。今回の場合などは外に設置した流しを使っていただいたりするので、暑さ寒さの厳しい時期は避けるということも重要です。今回のお客様も、夏場は朝夕にお風呂を使いたいとのことでしたので、暑い盛りははずして10月に入ってからの着工としました。

工事は現在山場を越していますので、本格的に寒くなる前にはお引き渡しができそうです。断熱性も設備も格段に良くなってますので、完成を楽しみにしていただきたいと思います。
  小野  
 
2017.10.20
キッズスタジオ今週末の10/22(日)に予定していた「キッズスタジオ2017(山県会場)」ですが、台風が近付いているので今年は中止とさせていただきます。

尚、中止となるのは22日の「山県会場」のみです。11月5日(日)の「大垣会場」は予定通り開催される見込みですので、ぜひ「大垣会場」にお越しください。
  小野  
 
2017.10.13
サンルームを作らせていただきました。

庇のある物干しスペース現況は大きな庇のある物干しスペースなのですが、ここを簡単な壁で囲って「室内と室外の中間のような憩いのスペースがほしい」と言うのがお客様からのリクエストでした。

建物本体は20年くらい前に建てられた鉄骨系のハウスメーカーによる住宅で、そこに後付けの木造の庇が付けられてました。この庇はポリカーボネイト製の波板とヨシズを組み合わせた作りで、木漏れ日のような優しい光が落ちてきます。以前施工した大工さんが手を掛けた痕跡や工夫がかいま見れる、なかなか味のある庇です。柱などの構造部分の劣化もなくしっかりとしているので、これをこのまま使わせてもらう方針を立てました。

もともとは「居間など室内の壁面を木板張りにリフォームしたい」と言うところから今回のお話が始まったのですが、話していくうちに「もっと庭を身近に感じられる場所で、朝ご飯を食べたりお茶を飲んだりしたい」と言うことになり、こちらのスペースを活かす方向に考えが変わってきた…という流れがあります。

憩いのスペース 憩いのスペースですから、いわゆるアルミ製のサンルームではなく、お客様のこのあたりのイメージをくみ取って、小さいながらも木をたっぷりと感じられ、庭との一体感を感じられるような憩いのスペースになったと思います。
  小野  
 
2017.10.10
三連休中日の日曜日(四季の家工房にとってはフツーの日曜日ですが)、八ヶ岳の麓にある「カフェ・ド・ペイザン」さんに行って、天然酵母の石窯パンとストウブ料理、そして久しぶりにお会いするオーナーご夫婦との会話を楽しんできました。そんなわけで、この四季便りでは珍しくお店のご紹介なのですが、「カフェ・ド・ペイザン」さんを語るには、まずは「ブーランジェ・ペイザン」さんのご説明をしない訳にはいかないのです。

僕が「ブーランジェ・ペイザン」さんのパンを初めて食べたのは、僕たち夫婦が現在の住まいである岐阜県関市に引っ越してきた頃なので、もうかれこれ二十数年前の事になります。いろいろな国を旅してきて最終到達地点がこの関市だった訳ですが、旅を通してその国でしか食べられない味の記憶ってのがありまして、決して食通とかグルメとかではないのですが、ある国では当たり前のように食べていたものが、日本に帰ってくるとなかなか手に入らないモノだったりするんです。

その一つが、フランスの田舎で食べたパンの味なのです。重たくて固くて、独特の香りがする…今でこそ「ハード系のパン」と言えばピンとくる方も多いでしょうが、そのころはまだパンと言うとふわふわのパンがいわゆる「パン」だった頃のことです。

パンって完成形で輸入したりできないんで「材料」と「設備」と、肝心なのがパンを焼ける「職人さん」とが揃っていることが必須条件なのですが、そしてもう一つ大事なこととしてそのパンの味を支持する「お客さん」がいて初めて成り立つ食文化なわけです。食文化としては日本ではまだ未成熟だった「フランスの田舎パン」で多くのファンを取り込んで、ひとつの世界観をつくってこられたのは「ブーランジェ・ペイザン」さんの大きな功績だと思います。しかも、大都市ならいざ知らずこんな田舎町ですからね…ご自分の感覚を信じて通されたことに尊敬の念を抱きます。

そんな訳で、我が家はペイザンさんのファンとしてず〜っとパンを食べてきたのですが、まぁ日本人として基本は米なので、週末とかちょっとしたハレの日の食卓に並ぶって感じのお付き合いでした。そこに十年ちょっと前のことですが、ペイザンさんから「お店のリニューアル」のご相談をいただきまして、それまで僕がパンを買うお客さんとしての一方的だったお付き合いが、双方向のお付き合いに変化していきました。

その後も設備器具の更新とか、屋根の補修とか、ご依頼をいただいていたのですが、ある時、お店を息子さんに譲って山に引っ込む…という大転換を迎えられました。で、移住したのが八ヶ岳の麓だったわけです。大転換と言っても急転直下で決断を下したわけではなく、時間をかけて世代交代の準備をしたり、何となくだいぶ前からそんな雰囲気は醸し出していたのでびっくりはしなかったのですが、いざご主人がいなくなってしまうと、「パンの味はどうなるのだろうか」とか「お店の切り盛りは大丈夫なのだろうか」とか余計なお世話でヤキモキしてみたりとか、ファンの心理ってまぁそんなところだと思います。…で、これも数年前の話で、もちろん現在もおいしいパンを焼き続けてくれています。

今回お邪魔したのは八ヶ岳の方の「カフェ・ド・ペイザン」さんです。わざわざこんなことを日記に書いておいて今更なんなのですが、例によって写真を撮るのを忘れました…。少しはインスタ女子を見習わなくてはいけないのですが、食べモノを前にすると写真のことなんかコロッと忘れてしまうのです。しかも料理が旨いもんで、食べる方に全神経がいっちゃうのです。塩豚と野菜をストウブ鍋に入れてオーブンでコトコト煮込んだ…ん〜なんと言う料理だっけ?とか、高原野菜のサラダとか、マメの入った石窯パンとか、とにかくボリュームもあって旨かった!!

キッズスタジオ 帰りがけに外観の写真をパチリ。料理の写真はないので想像してくださいね。そして、是非一度足を運んでみてください。近くにはサントリーの白州工場なんかもありますよ。

■ 八ヶ岳のカフェ・ド・ペイザンさんのホームページ
■ 関のブーランジェ・ペイザンさんのホームページ
  小野  
 
2017.10.03
今年もやります!「キッズスタジオ2017」!

今年は例年より開催発表が遅くなってしまいましたが、ようやく体制が整いまして、このホームページでもご紹介させていただきます。まずは「キッズスタジオ」をご存じない方もみえると思うので、簡単に内容を説明しておきます。これは、四季の家工房が参画する「NPO法人 岐阜・楽しい家づくり研究会」が主催するちびっ子を対象とした職業体験イベントですが、東京や神戸で大人気の「キッザニア」のミニチュア版…をイメージしていただけるとわかりやすいかと思います。

沿革としては、2010年に大垣工業高校の施設をお借りして第一回を開催して、翌年からは大垣会場に加えて四季の家工房の地元である山県市の香りの森公園でも開催し、年2回の定期イベントとして今年は早くも8年目の開催となりました。メインの対象者は小学生を中心としたちびっ子たちです。

「キッズスタジオ」が実際はどういうイベントかと言いますと、僕たちのような建築業に携わる者たち…大工、左官屋、電気屋、水道屋、内装屋などプロの職人たちに集まってもらって、「実際の仕事の一端を経験してもらおう」というのがコンセプトです。実際に使用する材料を、本物の道具を使って作業するので、子供たちにとっては初めて手にする道具の重さとか職人の手の使い方なんかを直接体験できるのです。

そして、自分たちが普段何気なく使っているコンセントの中身を見ることができたり、壁紙の貼り方を知ることができたり、あるいは見たこともない材料が壁の内側や床下に使われていることなども知ることができたりします。そういうリアルなところが、一般的な工作教室や本で読んだりすることでは体験できない「キッズスタジオ」ならではの魅力だと思っています。

また、これは僕たちから子供たちに与えるだけの一方的なベントではなく、普段は足場で囲われて中では何をやっているのかわからない、そんな建築現場の中で働く僕たちにとっても、自分たちの仕事を知ってもらう良い機会になっているのです。

職人さんのイメージってどんな感じでしょうか?真っ黒に日焼けしてちょっとコワそうとか、ガラが悪そうとか、そういうイメージを持っている方も見えるかもしれませんが、キッズスタジオで触れ合ってみてもらえると、みんな自分の仕事に誇りをもって真面目に働いている人たちばかりっていうのがよくわかると思います。

キッズスタジオさて、今年は山県会場を10月22日、大垣会場を11月5日に開催します。四季の家工房の地元の山県市、関市の各小学校ではチラシの配布のご協力をいただいてますので、たぶん先週あたりには各ご家庭に届いているはずです。香りの森公園に近い岐阜市北部の小学校にはこれから足を使って配布に回ろうと思っています。

四季の家工房は山県会場の全体運営と大工ブースを3つ、大垣会場でも1ブース担当しています。たくさんのちびっ子の参加をお待ちしています!!とくに申し込み等は必要ありませんが、何かご不明の点がありましたらチラシのフリーダイヤルにかけていただくか、四季の家工房まで直接メールでお尋ねください。
  小野  
 
2017.09.19
舟橋楽器資料館「小野さんが好きそうなとこ見つけたよ〜」というご案内をいただいて、行ってきたのがココ…「舟橋楽器資料館」です。どういうところかというと文字通り楽器の資料館で、展示されているのは世界各地の伝統的な民族楽器なのですが、その数がモノスゴイ!しかも、ここにある楽器のすべてが館長さんが自ら足を運んで収集した、個人のコレクションだと言うから驚きです。

こんなコアでカルトな異空間が普段の仕事で走り回っているエリアにあるとは…全然知らなかった!音楽好きな僕がこんな反応をするだろう…という事を見越した上でこの情報をくれた友人は、何倍も輪をかけた音楽バカなのです。

さて、館内はと言うと、僕が行った時には他の見学者も見かけず、チケットカウンターも無人だし、エントランスのあちこちに梱包材やら壊れた古い楽器が雑然と置かれていて、し〜んと静まり返っていて物音もしないし、なんだか時が止まているような妙な雰囲気でした。「えっ?ここ、やってるの??」と言うのが正直な第一印象です。

一旦は出ようかとさえ思ったのですが、せっかく来たのだから一応確かめてみないと…という事で大声で案内を乞うと、奥から品の良いおばあさんが出てみえて、無事入館料を払って展示室に入ることができました。で、展示室の中に入って、あぁびっくり!ショーケースの中には珍しい楽器が折り重なるように、まさに所狭しと並べられていて、陳列と言うよりもパズルのように詰め込んだと言う方がイメージが伝わるのではないかと思います。

まずはその数の多さに圧倒されて一つひとつの楽器に目がいかず、ちょっとした思考停止状態に陥ります。「どこから、どう見たら良いのか、さっぱりわからん」…思考は停止しているのですが、「なんでこんなところに!」「こんなモノが!」「こんなにもたくさん!」と、感動と言うか興奮と言うか、訳の分からない高揚感が湧いてくるのです。

ようやく少し落ち着いたところで一つひとつの楽器に意識が行くようになると、見覚えのある楽器や音楽として聴いたことがある楽器に目が止まるようになります。そして少しづつ目をずらしていくと、同じような楽器が国境を越えたり海を渡ったりしながら、少しづつ形が変化していく様が手に取るように見えてきたり、ひとつの地域で歴史と言う軸に沿っての変化が見えてきたり…水平方向にも垂直方向にも実に奥の深いコレクションである事がわかります。

すっかり感心しているところに館長さんの登場です。すべての展示品はこの館長さんが旅をしながらご自分で収集したとのことで、その楽器を手に入れた時の苦労話や紋様や様式の系統など、この人でなくてはわからないディープなお話をしてくれるのです。中にはゲリラが出没するような危険な国境の川を楽器を満載した小舟で渡った冒険話とか、ご自身も三味線を演奏しながら旅をして民族音楽のミュージシャン達と交流した話とか、僕自身もかなりの旅を経験しているので雰囲気が手に取るようにわかるのです。

御年80歳を超えた現在はさすがに旅に出ることはなくなったそうですが、まだまだお元気でこうして来場者と直接お話をすることが何よりの楽しみとのことです。難点としては、話に華が咲いてしまうと展示物の前から一歩も動かなくなってしまうので、すべての展示を見るにはものすご〜く時間がかかりそうです。僕も別の予定があったので「ほんの1時間くらい」のつもりで入場したのですが、大幅にオーバーして3時間弱の滞在…それでも、くまなく見るには全然時間が足りませんでした。

僕が「道楽で楽器を作ったり、レストアしたりしてるんです」と言うと、じゃあついでにここも見せてあげよう…という事で修理を待つ楽器をストックしている部屋を見せてくれましたが、なんとここだけでも千点からの楽器があるそうです!

最後にエントランスの横の喫茶コーナーで、先ほど入場券をちぎってくれた奥様がコーヒーを淹れてくれました。この喫茶コーナーは現在楽器のリペアルームのようになっているのですが、カウンターやテーブルのしつらえはまさに喫茶店のそれです。入館した時の印象ではなんか埃っぽくてガラクタだらけの雑然とした空間で、とてもではないけどコーヒーを飲みに入るような気にもならなかったけど、一回りして館長さんのお話も聞いた後だと逆に居心地の良い空間に感じてしまうのです。

音楽好き、楽器好き、アンティーク好き、旅好き…そんな人にはお奨めです。日本の三味線や琵琶なんかのルーツも、ここに行けばわかっちゃいますよ。
  小野  
 
2017.09.12
階段の手すり取り付け階段の手すり取り付けのご依頼をいただいたので、久しぶりに本業の工事の話を…建物は築20数年の某ハウスメーカーの軽量鉄骨造の住宅とのことで、「あ〜、これは下地が難しそうだなぁ」とまずは嫌な予感が…。後施工で取り付け物をするときは「下地」が重要なのですよ「下地」が!

という事で、まずは「下地」の説明です。一般的な最近の住宅の壁の仕上がり面ていうのは、厚さ12mmの石膏ボードに壁紙を貼るとか漆喰を塗るとかして仕上げてあるのですが、この石膏ボード自体にはビスを効かすことはできないため、壁内に木材等のしっかりとビスを効かせることができる部材が必要なのです。

この壁内の木材の事を僕たちの世界では「下地」と呼ぶのですが、木造住宅であればおおよその柱の位置や間柱の入れ方も想像がつきます。しかし、鉄骨系の建物はそれぞれの建築屋さんによって下地の入れ方がまちまちで、しかもハウスメーカー製の建物はメーカー独自の施工法もあっていよいよ想像がつきません…。逆に言うと「下地はないもの」として準備していかなくてはいけません。

下地の補強ない場合はどうするかと言うと、壁をいったん切り開いて内部に下地となる木材を差し込んで固定するという、言ってみれば「手術」を行うわけです。壁を開いてみてわかったのですが、このお宅の場合は鉄骨の躯体の間に断熱材が一体となった木質パネルが張り込まれていて、思いのほか壁内の空間が少なくてやや苦戦しました…。でも接着剤とビスを上手に併用して、要所要所に「下地」となる木材を配置していきました。

で、切り開いてしまった壁はどうなるのかと言うと…今回の手摺リフォームの場合は手摺りの受け金具を直接壁に付けるのではなく、壁面に手摺り金具を受ける木板を帯状に取りつけて、その木板に手摺り金具を取り付けるという2段階の施工方法としたので、切り開いた壁部分はすべて隠すことができるのです。ですから、先ほど取り付けた「下地」は、実は「下地の下地」だったわけです。

手すりの下地 手すりの下地木板を取り付けるとこんな感じです。ここまでできると工事は7割終わった感じです。

あとは順番に手摺りと手摺り金具をとりつけていけば、手摺り工事の完了です。「階段がすごく楽になった〜!」と喜んでいただきました。

階段の手すり工事 階段の手すり工事 階段の手すり工事
  小野  
 
2017.09.08
ウッドロング・エコという材料があります。塗料と言うべきか薬剤と言うべきかわかりませんが、要は屋外で使用する木材を雨や紫外線から保護するために、木材の表面に塗る材料です。北欧が期限とされていますが、北米のログハウスの外装への使用で普及し、実績は100年ともそれ以上とも言われています。国内では20年ほど前から自然志向のビルダーや建て主さんから認知されるようになり、ウッドデッキやウッドフェンスなどへの使用ですこしづつ広まってきたようです。

ウッドロング・エコの特徴としては、施工が簡単で木材が長持ちして、しかもローコストで風合いが古びたような自然な感じに仕上がり、化学的な成分を含まない自然素材とのことで良いことばかりなのですが、成分はハーブや鉱物という曖昧な表現だけで原材料名は一切公開されていない…というブラックボックス的な側面もある一見「怪しい」ものでもあります。実際に1ガロン分を取り寄せてみると、送られてきたのは小袋に入ったやや緑がかった白い粉がほんの少々…怪し過ぎる〜!

くしゃみでもしようものなら飛んで行ってしまいそうな、それほどほんのちょっぴりの白い粉を3.8リットルの水で溶かせば「ウッドロング・エコ」の出来上がりです。溶かし終えた水は、例えるならば水たまりのうわずみを掬ったみたいな、ややうす濁りした水です。怪しすぎるやろ〜!

施工はこれを木材に塗布するだけなのですが、どうせならドボンと漬けてしまおう…という事で、雨樋を改造して細長いプールを作って、そこにウッドロング・エコを溜めておいて、木材を漬けてコテバケで押えて木材表面に気泡が残らないようにしました。全面にくまなくいきわたったところで引き揚げて、あとは立て掛けて干すだけです。

すぐに木材表面の色が変化を始めて、乾くころにはうっすらと銀鼠色にエイジングされたような表情になりました。これはけっこう美しい!古びた感じで仕上がるという事は、その後の変化も古びる一方なので、なんとなく経年後の変化の具合が想像できるのです。逆に新しくピカピカに仕上げたものは、年月を経てそれ以上に輝くという事はあり得ず、だいたいは汚れが目立ったり、色が褪せたりして古びてきます。

ものが古くなるって事は決して悪いことではなく、時間と相応に古くなるのは当たり前のことですが、古くなった時の表情って重要で、材料の性格と使う場所を検討して10年後とか20年後を想像するのも建築屋の仕事なのですが、これがなかなか難しいです。

なので、「わからない材料はまずは試しに使ってみよう」とウッドロング・エコを取り寄せたのは、四季の家工房を始めるころだったので、もう12〜3年前の事だと思います。ウッドロング・エコで処理した杉板で工場の入り口にちょっとしたウッドフェンスを作ったのです。本当だったら「白い粉」も「雨樋プール」も写真で見てもらいたかったのですが、スミマセン…そんな訳でだいぶ昔の話なので、写真はないのです。

カヤックのコーチ まるっきり雨ざらしでメンテナンスも一切していないウッドフェンスですが、見た目は銀鼠色に古びつつ、時々「試験」としてドライバーで突いたり金づちで叩いたりしてたのですが、コンコンというしっかりした木の手応えが返ってきました。

で、なんで今頃こんな話題を日記に書いてみたのかと言うと…先日、そのウッドフェンスにトラックを引掛けてしまって、バキッとやってしまったんです。

カヤックのコーチバキッとやったついでに、基礎のブロックごとフェンスを撤去して大型トラックの出入りが楽にできるようにしました。せっかく解体したので、丸鋸で杉板を切断して断面をチェックたのがこの写真です。

想像以上に内部は健全な状態でびっくりでしょ!ウッドロング・エコあなどれませんな。
  小野  
 
2017.09.06
カヤックのコーチ9月になって急に秋ぽっくなってきました。ちょっと前の事になってしまいましたが、まだ真夏のギラギラした感じが残っている8月下旬のある日、近くの長良川にカヤックの漕ぎ方をコーチしに行ってきました。僕自身そんなに漕ぐのがうまいわけでもないのでコーチと言うのもナンですが、かな〜りおもしろい企画に乗っかって、押しかけ半分で参加させてもらった…という感じです。

その企画と言うのが「土木系学生によるコンクリートカヌー大会」というものですが、「コンクリート」と「カヌー」ってまぁ結びつかないキーワードです。それが実は、文字通りコンクリートで作ったカヌーによってタイムを競うというユニークな大会なのです。

これに参加しているのが僕の地元の高校、関商工の工業科の3年生たちなのですが、今年で9回目の出場とあって艇の完成度がかなり上がってきているようです。厚さ4mmの超薄いコンクリートパネルを作って、それらを5枚つなぎ合わせて船体を形成するのですが、総重量も30kgを切ったという今年の艇はかなりの高速艇に仕上がっているようです。

なにせ1回目の出場の時は総重量100kg超えの計測不可能なほどの超重量艇だったそうで、そこから創意工夫を凝らして年々進化させてきたのが今年の艇なのですから。こちらに艇の大会規定がありますが、この4mmという厚さはたぶん究極の寸法なのではないでしょうか。

コンクリートというのは圧縮には強いけど、引張には非常に弱い素材です。だから住宅の基礎などでも鉄筋を入れて引っ張り力に対して抵抗させる、いわゆる「鉄筋コンクリート」にしてひとつの素材という扱いです。これは鉄筋がコンクリートの弱点を補完すると言った一方的な事ではなく、鉄筋の弱点である錆や腐食をアルカリ性の塊であるコンクリートで包むことによって保護しています。だから建物の構造に使う場合は、鉄とコンクリートで「鉄筋コンクリート」と言うひとつの材料なのです。

で、コンクリートカヌーですが、艇長4mのタンデム艇にあって軽量化はとても重要なポイントなので、鉄筋を使うわけにはいきません。かと言ってコンクリートだけでは、自重さえも負担できないような脆い艇となって、持ち上げた瞬間にばらばらになることは明らかです。

なので、厚さ4mmのコンクリートパネルの芯には繊維系のファイバーメッシュが入っており、そこにセメントを基材としたコンクリート(正確にはモルタル)を塗り付ける訳なのですが、添加材や骨材、水分量などを微妙に調合して、強度や薄く延ばすワーカビリティなど、マル秘のレシピでコンクリートの性質を向上させています。ここに過去8年の挑戦で得たノウハウが活きるのですね。

さて、4月からコツコツと制作を続け、この8月に完成、進水式、そして大会に向けた練習を行うのですが、完成から大会までの期間もあまりないもんで、この日の練習が2回目であり最終練習でもあります。漕ぐのは体育会系の部活で鍛えた二人で、パワー重視のエンジン係の前座はラグビー部、艇の方向舵としてレースをゲームメイクをしつつパワーも要求される後座には野球部からの人選で、なかなかチームワークも良いです。

1回目の練習は準備時間がなかったため陸からのワンポイントアドバイスしかできなかったのですが、2回目は僕も木造艇を持ち込んで実地で水の掴み方やパドリングのコツなど伝えることができました。最初のうちはパドル同士がぶつかる音や、水面を叩いてしまう音など聞こえてきましたが、すぐにコツをつかんでアメンボウのようにスイ〜ッスイ〜ッとスムーズに進むようになりました。艇自体の直進性もよさそうで、きれいな引き波を残して進んでいきます。短い練習時間ではありましたが、さすがスポーツで鍛えた体幹とパワーで予想以上に仕上げてきたのには感動ものです。今年は艇も良いし漕ぎ手も良いので結構期待できますね。

で、8月30日に埼玉の全国大会に出場して、結果は…決勝まで進出して総合7位でした。僕は指導の先生から報告を受けただけなので詳細まではわからないのですが、決勝レースでは艇同士のぶつかり合うラフなレースになって残念ながら沈没してしまったそうです。でも準決勝のレースでは大会3位のタイムを出したり、手応えは十分だったようです。何よりも主役の高校生たちが力を出し切って笑顔だったという事が、なにより嬉しですね。「作って競う」って素晴らしいと思います。
  小野  
 
2017.07.31
子供たちは夏休みですね。夏休みと言えば、工作!…と言うことで、八百津町の公民館からご依頼をいただき「出張木工教室」を開きました。内容は自由なのですが、小学生が1時間半程度の作業でできるもので、材料費も500円程度ということです。

小学生と言っても1年生と6年生では「理解力」も「できること」もだいぶ違うので、お題を決めるのは結構な難題です。あまり簡単にしてしまうと大きな子にはつまらなくなってしまうし、かと言って小さな子でも出来るものでないと完成の喜びを味あわせてあげることができません。そんな訳で、困った時の親頼み…「夏休み親子木工教室」ということで、親も一緒に楽しんでもらう事にしました。

で、今回のお題として「キーハンガーのついた壁掛け飾り棚」を用意しまして、材料は柔らかくて加工の楽な杉を使うことにしました。作業内容としては、サシガネを使って印をつけ、ノコギリで角の整形、ドリルを使った穴あけ、サンドペーパーで表面や端部を研磨して、接着剤と釘を併用した接合…と短い体験時間でいろいろな工程を経験できるようにしてみました。

ドリルでの穴あけに関しては、こちらであらかじめ開けておこうかやってもらおうか迷ったのですが、割と少人数なので一人づつ手を添えてあげればやれるだろう…という見込みで工程に組み入れてみました。正直言って、こちらで開けてしまった方が断然楽なんですが、電動工具をさわらせてあげると結構喜ぶもんで、サービス精神旺盛な四季の家工房としては「普段さわれないものにさわってみる」という機会を大切にしたいのです。

さて教室ですが、まずは材料の説明をして、出来上がりのイメージを掴んでもらってから一通りの作業をデモンストレーションします。仕上げ前の木肌と仕上げた木肌との違いを実際に木をさわって確認してもらったり、安全にノコギリを使うためにクランプを使って材料を固定したり…。実際にやって見せるのが近道なんですが、ちょっと駆け足だったためかキョトンとしちゃってる…まぁ、やってみよう!ということで作業開始です。

出張木工教室 出張木工教室 出張木工教室

サシガネの使い方でつまづいたり、なかなか釘が沈んで行かなかったり、まぁだいたい予想通りの苦労をしつつも、全員揃って完成させることができました。

出張木工教室もっと時間があったら塗装までやりたかったのですが、あとは家に持って帰ってもらってから色を塗るなり絵を描くなり楽しんでもらえれば…と思います。皆さん、お疲れ様でした!
  小野  
 
2017.07.03
気になる事件でした。ちょっと考えさせられてしまいました。…事件と言うのは、ネットでざわついている「バニラエア問題」です。ご存知の方も多いとは思いますが、事件の概要はこんな感じです。

鹿児島県の奄美空港で体に障害を持った車いすの男性が飛行機に搭乗する際に、タラップの階段を這うようにして自力で昇らされた…ということです。実はこれは帰路の話でして、じゃあ往路はどうしたのかと言うと、往路の関空→奄美の便に搭乗するときは搭乗ブリッジがあるため問題はないが、チェックインカウンターの時点で奄美空港での降機の際はタラップを使うことになるので、「歩けない人は乗れない」と写真を提示した上でチェックインを断られたそうです。それに対し男性は「同行者(5人)の手を借りるから大丈夫」ということでチェックインし、到着した奄美空港では同行者が車いすの男性を担ぐかたちで降機したそうです。

で、問題が浮上したのは帰路の奄美空港でして、往路の時と同様に「歩けない人は乗れない」と写真を提示した上でチェックインを断られたそうです。降機の際に車いすを担いでタラップを降りたのは規則違反だったとのことです。確かに不安定なタラップを人が乗った車いすを担いで昇降するというのは一歩間違えば大事故になりかねないので、航空会社サイドとしては禁止すべき行為なのは理解できます。

でもそれでは帰れなくなってしまうので、話の落としどころとして「同行者の手伝いのもと、自力で階段昇降ができるのなら搭乗できる」ということになりました。そして腕の力で這い上がるように、数分かけてようやく機内の人になった…という事件ですが、これが新聞で報道されたりネットで炎上してツイッターやブログなどで様々な意見が飛び交っています。

当然、賛否両論いろいろあるわけですが、だいたいはバニラエア側を非難する意見が多いです。乙武洋匡さんをはじめ多くの著名人もこの男性を支持するコメントを発表しており、その多くは非常に共感できるものです。しかしてその反対意見もあるわけです。

・航空会社が告知しているにもかかわらず、事前申請なしに当日騒ぎを起こした男性は確信犯であり、クレーマー的プロ障害者である。
・事件によって足止めされた他の多くの乗客にとっては迷惑行為である。
・事故が起きた場合を考えると航空会社の言い分が正しい。
・こんなことが続いたら格安航空会社はなくなってしまう。

こちらもいろいろ出てきまして、読んでいくと「この男性が自ら問題提起することによってプロパガンダする」…言い方が良いのか悪いのかはわかりませんが、ある意味「プロ障害者」という側面をお持ちなのは事実のようです。でも、「そうでもしないと障害者の社会的な立場は変わらない」という現状も見えてきます。

こうした両方の意見を読み聞きしてみると、まぁ極端な意見や罵詈雑言の類は除きますが、だいたいどの意見に対しても(どちら側に立った意見であっても)「なるほど〜」「そういう考え方もあるのか〜」と納得してしまう自分がいるのです。要するに、僕はこの問題に関して「何も知らない」ということがよくわかりました。ですから、この男性のとった今回の行動が良いか悪いかは別として、社会に問題を投げかける大きなきっかけになっていることは間違いありません。

「配慮が足りない」というキーワードもちょこちょこ出てきます。僕たちも日々の仕事の中で、常に「配慮」することを意識しています。でも、あることに焦点を当てたがために他のことに関しては無配慮になってしまっていたり、ちょっと気を抜くと単なる「マニュアル的配慮」になってしまっていたり…「配慮」というのは通り一遍ではいけない、知識や経験や察知する能力など多くの人間力を要する分野です。今回の事件も「安全面」に配慮が偏りすぎた結果、航空会社として最も重要な「人を運ぶ」という目的が見えなくなってしまったのではないかと推測します。

自分たちに置き換えてみると、建物を作るってことは壁で空間を区切ったり段をつけたりして、人間の行動に制約を与えつつ動作を手助けしたりと、相反することが同時に求められます。わかりやすく例えると、壁を一枚作ったとすると、壁によって向こう側に行けなくはなったけど壁にもたれることはできるわけです。自分たちが作るモノが人に対してプラスの影響ばかりではなく、ある一面ではマイナスの影響も与えてしまうことがある…ということをもう一度深く認識させられました。

バニラエア側はすでに男性に謝罪をしており形式上は一応の幕は引けているようですが、感情論だけではなく「配慮とは何か」など多くの事を考えさせてくれました。
  小野  
 
2017.06.14
棚を取り付けて来たのでご紹介します。ご依頼をいただいたのは、引き渡しから8年目を迎えたM様からなのですが、新築時はご夫婦お二人だったのが、家族が増えて現在は4人で暮らす家になりました。当然、生活のリズムも洗濯物の量も変化して、それにあわせて建物をほんの少しカスタマイズする…そんなお手伝いをしてきました。

キッチンシンク上部の棚まずはこちら。これは、キッチンのシンクの上部に作った棚です。よく、吊戸棚を付けたりする場所なのですが、この吊戸棚って案外使い勝手がよくない場合があって、しまいっぱなしで出さなくなっちゃう…という事例も多く見聞きします。なので、よほど収納が足りない場合を除いて、「付けない」と言う選択もありだと思います。

このM様の家も、もともとは吊戸棚などをつけずにオープンにしていた場所です。今回棚を付ける目的は、「収納が足りない」というよりも「ちょこっと仮置きする場所がほしい」というイメージで、棚板を一段だけ取り付けることにしました。

取り付け方法としては、L字型の棚受け金物などを使えば簡単に付けることができるのですが、金物は使わず写真のような吊木で荷重を受けるような作りにしてみました。…と言うのも実はこのキッチン、建て主さんご夫婦とお友達のアマチュア木工家が協力して作った素敵なキッチンでして、毎日使うキッチンの棚だからこそ、そこに調和するようにしたかったのです。だから敢えて、多少野暮ったい作りではありますが、金物に頼らずに手作り感を残したかったのです。「たかが棚一枚」と言えども、いろいろあるんです。

ステンレスのパイプこれは、2階の梁に取り付けたステンレスのパイプです。小さなお子さんがいると洗濯物も増えて、どうしても室内で干す必要が出てきますね、ウチもそうでした。

で、とりあえず引っかかるとこならどこでも干しちゃえ、ってことで、鴨居や出入り口の枠と言った木部と壁とのほんのちょっとした段差を利用して、ハンガーを引掛けたり、例の洗濯バサミがいっぱいぶら下がっている輪っかみたいなヤツ…正式名称はなんて言うのだろう???…を引っ掛けたり、そんな訳で何となく家の中がだらしない感じになってしまうのですよ。

しかも出入り口に洗濯物がぶら下がるって事になるので、肝心な動線を邪魔して歩きにくいし、体を横にして通り抜けたとしても、何かのはずみに落っことしてしまって、せっかく洗濯したのに汚してしまったり、しかもカミさんに見つかって小言を言われたりでロクなことになりません…アッこれはウチの話ですが。(笑)

経年劣化の検証こちらは土間の納戸に取り付けた可動式の棚です。キッチンの場合とは違って納戸内の棚なので、使い勝手を優先してレール式の可動棚になっています。

もともと「どこにでも釘やビスが打てるように」と納戸の壁は合板張りにしてあったので取り付け位置も自由に決められますし、レール式なので高さを変えられるのはもちろんですが、さらに棚がほしくなった時は簡単に追加することもできます。

こんな風に少しずつ手を入れさせてもらって、暮らしの最適化のお手伝いができるのは嬉しい話です。今度はお子さんが成長されて「部屋がほしい!」と言い出して、2階のフリースペースに間仕切り壁を建てる時にでも呼んでもらえるかな?

P.S. お土産にもらった信州そば、ありがとうございました。おいしかったです!!
  小野  
 
2017.05.26
経年劣化の検証この一見うす汚れた板…なにかと言いますと、四季の家工房の入り口にある目隠しフェンスだった板です。このフェンス…10年ちょっとの間、四季の家工房のささやかな看板を掲げていた場所でもあるのですが、 今回トラックの搬入ルートを改善すべく、惜しい気持ちもありましたが基礎ごと撤去してしまいました。

この板は言ってみれば「フェンスの残骸」ですね。この板は2センチ厚の杉板なのですが、塗装ではなく「ウッドロングエコ」という木材の保護剤を水に溶かしたものにドボッと漬けたモノです。

経年劣化の検証そこで、建築屋としては10年間の経年劣化を検証すべくまっぷたつに切断!…で、切り口がこちらです。すごいっ!全然傷んでません。

10年間雨風にさらされて表面はいぶし銀に変色し、春目と言うやわらかい木目の部分が痩せてパッと見は結構古ぼけており、まあこれが良い意味で枯れた感じがするのですが、中身がここまでダメージ受けていないとは「ウッドロングエコ」の実力を見せつけられました。

経年劣化の検証ちなみに、ビスを抜いた跡がこちらです。水が溜まりがちなビス穴もこの通り無傷で、このままあと10年程度使えるくらいピンピンの状態でした。

僕たち建築屋は、星の数ほどある建築材料の中から探したり調べたりしながら材料を選んでいくんですが、経年変化を実証できる、こういった機会はなかなかないものなのです。そういった意味でも10年という区切りを迎えて、あえて「壊してみる」のも良い勉強です。
  小野  
 
2017.05.18
「四季の家工房の特徴はなんですか?」というご質問を時々お受けすることがあります。答えは一つではないので、時間がたっぷりある時はいろいろな施工例を参照しながら具体的にご説明するのですが、端的に一言でお答えしなくてはいけない時はいつも次のようにお答えするようにしています。

「僕たちは大工ですから、手を使って一つ一つお客様が欲しいモノを、形にすることができます」

…って、ここまでは以前の日記のまるっきりコピペなんですが、ちょっと変わったお仕事のご依頼をいただいたのでご紹介してみたいと思います。それは…ある設計事務所の方から「コンクリートの型枠を作ってもらえませんか?」というご依頼でした。

一般的にコンクリートの型枠は「型枠大工」という職域がありまして、「なんでウチなの???」と?マークが浮かんだのですが、ご依頼いただいた方も建築業界の方なので、そのあたりの事情は分かった上で、あえて四季の家工房をご指名くださったようです。で、冒頭の文言もあるもんですから、?マークを浮かべつつも、まずはお話だけでもお聞きしてみない事には、「できる・できない」の判断もつかないので先方の事務所に伺った訳です。

内容はこんな感じです。依頼主さんがご希望しているコンクリートの型枠と言うのは、僕たちがイメージしていた建築現場で型枠大工が組み立てる物ではなく、専門のコンクリート工場で製品を生産するための型枠で、組み方や精度などの考え方が現場組の型枠とはまったく違う物のようです。ことに精度の問題では、通常の鉄筋コンクリート造の構造躯体の型枠をつくる精度と、製品として許される誤差とでは大きな違いがあるのです。そのため、なまじっか専門の型枠工を呼ぶよりも、細かい仕事も得意とする四季の家工房にお声が掛かったようです。

そこまでは理解できました。が、ここで、さらに「じゃ、いつもはどうしてるの???」という疑問が…通常は専用の鋼鈑製の型枠を使うそうです。鋼製型枠を制作する専門の工場があり、精度も良く、組立・分解も容易で、繰り返し何回でも使える、技術的にも完成された生産システムです。

なるほど、納得。「じゃ、なんで木製の型枠なの???」…ここが話の核心です。鋼製型枠にも弱点があって、ひとつは型枠自体のコストが高いので小ロット生産には向かない事、それと制作に日数がかかるので急ぎの仕事には間に合わないという事だそうです。「ん?急ぎ?」…急ぎなのです!

お話を聞きに伺ったのがゴールデンウイークの前々日で、その日のうちに大雑把な拾い出しをして、翌日にはとりあえずの数量で材料発注、連休中に加工図を作成して、連休明けに工場での下加工を終えて海の近くの某コンクリート工場に…3日間泊まり込みで9個のコンクリート型枠を組み立てて、ぎりぎり工期にも間に合わせることができ、こうして怒涛の突貫工事が完了しました。

今頃はコンクリートの打設が終わって、固まるまでの養生をしている頃だと思います。そして、来週あたりは製品となって関東某所のビルの一部に組み込まれているはずです。最終的な出来形や最終的なお客様の反応を見れないことはちょこっと残念ではありますが、知らない世界を垣間見ることができて学ぶところも多い仕事でした。(作業の様子をちょこっとだけご紹介させていただきます。)

コンクリートの型枠四季の家工房の作業場で、ひたすら作業が続きます。100枚の合板と300本の桟木をパネルに組み上げます。
コンクリートの型枠コンクリート工場での組立作業です。鉄筋の組立工、鋼製型枠工、コンクリート打設工、仕上げの左官工など、いろいろな業種の職人さんが作業しています。
コンクリートの型枠すべての型枠が組みあがりました。僕たちの仕事はここまでです。
  小野  
 
2017.04.21
建物の中身がどうなっているのか?…この場合の中身ってのは室内の様子の事ではなく、壁の中や屋根の中、基礎の中といった「完成してしまうとほぼ見ることができなくなる」ホントの中身の事です。見えないのですが、こういった部分が建物の品質上とても重要なことは言うまでもなく、施工者としては常に「やり忘れ」や「間違った施工」などがないように何度も確認しながら工事を進めていきます。

では、「確認する」ってのはどういうことでしょうか?まず大前提として、正しい位置や材料、施工方法などを確認するためには、照合すべき図面や施工マニュアルが揃っていないと確認のしようがありません。例えば、「どこの柱とどこの梁をどのような仕様の金物で緊結するか」ってことが記載された図面を用意しておいて、それらを見ながら施工していき、施工が完了した箇所は図面にチェックを入れていきます。

で、一連の作業が終了したら、全体をもう一度チェックするんです。これで二重に確認できたことになりますが、それはあくまでも施工する本人が施工の流れの中で行った確認なわけで、これを「検査」とは位置付けしていません。なんでかと言うと、この状態では検査する人間が、気持ちの配分としては「つくる」という前を向いた状態ではままなのです。施工の良否を判定する「検査」をするからには、いったん気持ちをその場にとどめて、もっと客観的に現場を見る必要があります。…腰袋(腰に巻いた道具入れ)を着けた職人モードのままではダメなのですね。

そのため、四季の家工房では「自主検査」という工程を組み込んでいます。「自主検査」ってどんなことをやるのかと言いますと、「今日は施工に行くのではなく検査に行くんだ」という心構えで現場に向かうところから始まってまして、写真撮影に添える検査表示や満タンに充電したカメラ、もちろん図面やスケール(巻き尺)なども必需品です。

そして現場がきれいな状態であるということも大切です。この点はウチの現場はいつもきれいだと自信をもって言えるのですが、あっちこっちに残材が立てかけてあったりゴミが散乱しているようでは見たいポイントが見れなかったリして、いちいち物をどけたりゴミを掃いたりしながら検査をすることになってしまいます。これでは検査がはかどらないばかりか、見落としの原因にもなってしまいます。

「見落としをしない」という意味では、一連の検査を「順序立てて行う」ということも重要です。なんとなく自分がいる場所の「見える範囲」のところから手当たり次第に見ていくと、いくら図面にチェックを入れたところで、どうしても見落としや重複は避けられません。

なので、四季の家工房の自主検査では「番付」の順番にチェックしていくことにしています。「番付」っていうのは「い・ろ・は…」と「一・二・三…」の符号で建物の平面を座標化して表示する、大昔からの大工の約束事です。(詳しくは2007年9月10日の日記をご覧ください。) 「番付」を見ると柱一本一本の位置を特定することができるだけではなく、その柱が東西南北のどの方向を向いているのかもわかるので、柱に取り付けた金物の施工状況などを記録するにはもってこいなのです。

自主検査

自主検査
今回行った検査の内容は、上棟後の金物の取り付け状況を確認する検査です。所定の柱に図面の指示通りの金物が付いているかどうか、ビスの種類、ビスの本数、木部の欠損、スジカイの位置や方向、構造用合板や耐力面材の種類・寸法、釘の種類や長さ、打ち込みピッチなど、造作が進むと目視できなくなってしまう部分の確認です。

そして確認と同時に、位置が特定できるように「番付」を入れた検査表示を併せて写真に記録します。写真を撮るということは記録すると同時に、シャッターを切ることで自分自身への「確認」を意識づける動作にもなっているのです。指さし確認と同じようなイメージです。ちなみに…「自主検査」とは別に住宅瑕疵保証の保険会社の検査も受けるのですが、こちらで是正の指摘を受けたことは一度もありません。

この「自主検査」は以下の重要な工程で行っています。
・コンクリート打設前の基礎配筋検査
・上棟後の構造検査
・外壁施工前の防水検査
・完成時の検査

撮った写真はそのまま保管するわけではなく、報告書という形にまとめています。報告書には鉄筋の継ぎ手や木部の接合部、外壁貫通部や窓開口周辺など、原則としてすべての箇所を記録するので、膨大な量の写真帳となります。建物の構造や規模などにもよりますが、厚さが1〜2センチほどの分厚いファイルとなります。そしてこの報告書は、お引き渡しの時にお客様にお渡ししてお客様自身で確認が出来るようにもしています。
  小野  
 
2017.03.29
小説家・真山仁(まやまじん)さんの講演会を聞いてきました。僕はこの方の小説は読んだことはありません。なので、「ハゲタカ」原作者の社会派の経済小説作家…という以外の予備知識もなく、なんとなくという感じで聞きに行ってしまいました。

本来だったらこの手の講演会は、もっと情報を集めておいて、もちろん著書も何冊かは読んだ上でお話を聞いた方がより身になるのでしょうが、なにせ急に行くことになったもんで…。と言うのも、雨の日曜の午後、近場で何か…と思ってたら、友人のfacebookで「まだ席残ってるよ」と言うコメントを見て「じゃ行ってみよか」的な、まぁあまり真面目な参加者ではなかったのです。

お話は、氏が駆け出しの新聞記者だった頃、僕の住む関市に通信員として駐在していた…というところから始まります。約30年前ということですので、僕が関に移住した23年前とは十年弱の時間差はあるものの、同じ「よそ者」という立場で驚いた話や困った笑い話など、「うん、あるある」と思いながら聞いていました。

そして新聞社同志の確執や、市役所内部や警察での情報収集の方法…イコール人間関係の構築や記者としての身のこなしなど、普通ではなかなか聞けないエピソードを語ってくれるのですが、あたりさわりのない程度にボヤかしつつも、情景がリアルにイメージできるような巧妙な話し方で、最初から聴衆の心は掴まれてしまいます。

取材論や報道論を通して氏の背景がイメージできたところで、話は徐々に本題の小説に移っていきます。小説はフィクションです。わかってはいるのですが、真山仁さんのお書きになる「現代社会の闇を切り取る」ような小説を読んでいると、いや読んではいないのですがこの手の社会的な小説全般で言えることに、いったいどこまでがリアルで、どこからがフィクションなのかわからなくなってしまうということがあります。

あるいは、その中間にもいろいろありますね。リアルの核心を曖昧にして、読者が自身の予備知識を勝手に結び付けて納得していくストーリーだったり、ほんのちょっとのリアルに盛って盛って盛りまくって、ほぼフィクションに近いリアルだったり…その辺のさじ加減は作者の塩梅なのでしょうが、読み手の納得の仕方次第で、どのようにでも受け取れるところが小説の面白さでもあるのでしょう。

話の中にも「私の小説はフィクションです」という言葉が何度も出てきました。逆にとると、フィクションでなければいろいろな意味で「やばい」ほどリアルに近いフィクションなのでしょう。世の中のダークサイドや陰謀が渦巻く中に突っ込んでいって取材をするのでしょうが、インタビューの時「最後までは聞かない」とおっしゃっていたのも印象的でした。物語を決定づける最後のところまで全部聞いてしまうと、小説にできないのでしょうね。…正直「しまった〜」思いました。氏の著書を1冊でも読んでから聞いていれば、リアルとフィクションのせめぎあいをもっと生々しく感じられたことでしょう。

今回の講演会は関市の「ほんのいっせき」という2週間にわたる読書イベントのメインでした。なので、小説の裏話から少し離れて、読書という事についてもお話をされました。その中で「想像力」という言葉が出てきます。人間にとってとても大切な「想像力」という力…その力を育てるために読書はとても役に立つと言います。

「人間の半分は読んだ本でできている」とか「読んだ本を積み上げただけの高さから世の中が見渡せる」とかいろいろな表現がありますが、読書を悪く言う言葉は一つも見つかりませんね。氏は「もし読書が苦手だったらマンガでも良いですよ」ともおっしゃっていました。「でもアニメはダメです」とも。能動的行動でないと「想像力」は育たないようです。

では「想像力」とは何でしょう?お話の詳細は忘れてしまったので僕なりの解釈ですが、美味しいものを食べて美味しい味を想像することが「想像力」ではなく、その美味しいものを作った人の気持ちや食べた時の気持ち、一緒に美味しいものを食べたら人間関係がどう変化するか…とかとか、どこまで想像の輪を広げられるかが「想像力」という力なのかもしれません。僕たちも「家づくり」という土俵で日々「想像力」を試されているので、とても身近に感じられるお話でした。

さて、「ほんのいっせき」という読書イベントなので自分の事も少し書かなくてはいけませんが、僕はと言うと…決して読書家などとは名乗れませんが、読書は大好きです。読書と言うよりは活字中毒と言ってもよいかもしれません。いつも寝る前にほんの少しだけ本を読みます。本を読むと言うよりも活字を追いながら寝てしまいます。読まないと寝付きにくい…なので活字中毒なのです。

読むと寝るもんですから、次の日は前の日にどこまで読んだか探しているうちに寝てしまうので、読み進むどころか読み戻る?ことさえあるほど遅読です。従いまして、読んだ本を積み上げて世の中を見渡せるような身分にはなかなかなれそうにありませんね。
  小野  
 
2017.02.20
今年もっとも期待していた映画を観ました。そして、ひょんなことから予期せず素晴らしい映画にも出会いました。そんな訳で、二本まとめて映画のご紹介です。

ひとつ目は現在公開中のマーティン・スコセッシ監督作品の「沈黙−サイレンス−」と言う映画です。公開翌日に早速観に行ったのですが(重かったもので)なかなか文字にする気になれずにいたのが、昨日たまたま観た「カンタ!ティモール」という映画に触発を受けて、「ちょっと書いてみようか」と言う気になったのです。このふたつの映画にはつながりがある訳ではなく、たまたま僕の中で勝手に何かと何かがつながった…ということみたいです。それが何なのか自分でもよくわからないので、文字にして整理してみようかと思った訳です。

遠藤周作による原作「沈黙」を読んだのはもうだいぶ昔のことなのですが、その時受けたガーンとするほどの衝撃は、いまだに僕の頭の中で鮮やかな鉛色の印象として消えることはありません。それをマーティン・スコセッシが映画にするってのだから、観ないわけにはいきません!

物語の舞台は島原の乱の後の長崎県の五島列島。かつて赴任した恩師のフェレイラ神父が、幕府の弾圧に屈して棄教したとの噂を確かめるために、若いロドリゴ神父とガルペ神父が命をかけて海を渡ってきた…これが導入部分です。この物語になくてはならない登場人物のキチジローとも、この渡航の時に出合います。このキチジローがまるで僕自身を映したように、人間の弱い部分…言い換えれば人間そのものあらわすキチジローの存在は、この壮大な物語になくてはならない存在です。あらすじを語るつもりはないので、詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。

全編にわたり、弾圧、拷問、処刑と言う場面が続き、絶望とはこんなにも深いものか、こんな絶望の縁にあり人間とはなんと強いものかとも思うし、またある時はなんと弱いものかとも思うのです。小説を読むだけでもしんどいのに、鉛色のスクリーンに映される映画は更に辛いです。そして「踏み絵」と言う試練が本作の重要なテーマです。

「踏み絵」のシーンが出てくるたびに、観る者はそれぞれが自分にも問うのだと思います。「自分なら踏めるか?」僕ならばどうだろう…現代に生き、クリスチャンではない僕だからかもしれませんが、たぶんちゃっかり踏んでおいて、後で「ゴメンナサイ」と謝れば赦されると都合よく判断するのだろう。だから、拷問され処刑されるくらいなら「踏め!」「早く踏んじゃえ!」と叫びたくなります。でも、村人たちは誰も踏まない。キチジローは踏んだ。彼とて葛藤の末の決断だったのですが、踏んだのは「キチジロー=僕」なのです。

本当にしんどい映画です。なぜしんどいかと言うと、自分の目線がやがてロドリゴ神父の目線になってくるからです。ロドリゴの目の前で、信仰を守った農民たちが拷問を受けます。ロドリゴは祈ります。祈れど神は現れません。正義のヒーローだったらこんな時はマントをひるがえして登場するはずなのに、なぜ神は「沈黙」するのでしょうか…是非、公開中に劇場に足を運んで、ご自身の心で感じてください。

最後に言い添えるならば、この作品に悪人は出てきません。圧倒的な権力者と弱者という構図はありますが、弾圧する側もされる側も、どちらが正しいとか間違えているとかいうことではありません。異文化を受け入れられなかった当時の社会的な背景があるだけです。小説として綴った遠藤周作も、映画として編じたマーティン・スコセッシ監督も、敬虔なクリスチャンだそうです。ご自身の信仰心から絞り出されるような作品なのですが、いったん作品となって発表されるといろいろな解釈があるわけで、宗教的な意味では批判的な意見も多かったことと思います。そういった意味でも深い作品だと思います。

で、もう一つの方の映画は「カンタ!ティモール」と言いまして、こちらは広田奈津子さんと言う若い女性監督のドキュメンタリーフィルムで、公開以来、各地の自主上映会で草の根的な評判が評判を呼び、観た人は必ず誰かに薦めたくなるっていう不思議な魅力にあふれた映画です。僕も「タイトルは聞いたことあるけど…」的な映画だったんですが、参加している異業種交流会の会員さんが「是非、上映会やりましょう!」ってことで、各自分担でDVDを手配したり、プロジェクターやらスピーカーやら持ち寄りで開催した手作り上映会での鑑賞となりました。

2002年にインドネシアからの独立を果たした東ティモール…「そう言えば昔ニュースかなんかで見たなぁ〜」程度の予備知識しかありません。映画は東ティモールの美しい自然を背景に、素朴な音楽と、これ以上はないというほど無邪気な子供たちの笑顔から始まります。でもその明るさの反面、深く癒えない大きな悲しみを東ティモールの多くの人々が今もって持ち続けている、ということをやがて観客は知ることになります。それはインドネシアにより統治されていた時代の悲劇であったり、独立運動で流された血であったりするのですが、その悲劇が世界中の誰にも知らされていなかったという事実が、より悲しみを深くさせています。

それはそうでしょう。2000年前後の当時、インターネットの普及もまだまだだったし、ニュースや新聞で見聞きする東ティモールについては、ただ「独立運動が起こっているみたい…」といった断片的な報道しかなかったような気がするし、そもそも情報があったとしても、わざわざ聞き耳を立てる「耳」自体、僕は持ち合わせていなかったのだと思います。それほど30代の僕は自分のことに忙しかったし、寝る間を惜しんで遊ぶことにも熱心でした。

なぜ、そんな風に振り返ったのかというと、この映画にはときどき年号が出てくるのですが、その年号の連なりはそのまま僕が生きてきた時代とほぼかぶさっていて、映画の中の人々がこんな思いをしているころ僕はこんなことをしていたのだなぁ…と、自分と絡めて想像をさせられるのです。自分は幸運にも豊かな社会にいましたが、この映画に出てくる人たちは真逆の世界に身を置いていたわけで、そのこと自体を問題視するつもりはないのですが、問題は「自分がその豊かさをきちんと受け止めていたのか、豊かさの表面だけ舐めていたのではなかったのか」と自問しながらの鑑賞でした。

「カンタ!ティモール」は赦しの映画です。悲しみはなくならないけど怒りは持ち越さない。独立までの長い歴史の中で受けてきた抑圧や暴力、すべての国民が肉親を殺された経験を持つ…というほどの惨状の中で、常に「赦す」ということを選択した東ティモール。インドネシア軍による殺戮や拷問に対して、東ティモールが行ったことは仕返しではなく赦しでした。

さて、自分に振り返ると…僕も長いこと生きてきたので、怒りの感情を抱いたことはもちろんあります。と言うよりも、日々の小さな怒りなどは数え切れないほどです。で、今は平常心なのですが、それは赦したことによって得られた平常心なのか、それともただ忘れただけか…?思い返すと意識的に赦したという記憶があまりありません。この映画を観ると、「赦す」ということはもっと能動的でエネルギーが必要なことなのだと気が付きます。

この映画のもう一つのテーマである、音楽にも触れずにはいられません。音楽好きの僕にとって「観てみたいな」と思った切り口が「音楽」だったのですが、それは上映が始まってすぐに大きく想像を超えてしまいました。冒頭、あるミュージシャンが子供たちと歌を歌いながら、何のために歌うのかを語るシーンがあります。シンプルなメロディにシンプルなコード進行、ギター一本をストローク弾きしながら歌うその曲には、何の気負いも衒いもありません。むしろ誰にでも歌えるって言うこのシンプルさが、この国の音楽にとってとても重要なファクターなのです。

彼は端的な言葉で音楽の意味を語ります。正確には覚えていないのですが、だいたいこんな意味です。「弱い人がいる限り、弱い人を救うために歌がある」(※このセリフを正確に知っている人がいたら教えてください。) 彼はこの国の「赦す」という力のためには、音楽が必要だってことを知っているのだと思います。子供たちに音楽を教えながら、そういう大切なことも伝えていくのでしょう。だから生半可な音楽ではありませんでした。想像を大きく超えたって言うのはこういうことです。

昔、音楽の授業で音楽の三要素はリズムとメロディーとハーモニーだと習いました。チューニング(調律)があっていないのは、そもそも音楽ではありませんとも習いました。そんなことどうでもよくなってしまう力強さが、この国の音楽にありました。独立を果たしたその日、初代大統領(首相?)の演説の言葉です。「大地を踏みしめて踊れ!」…その言葉に歓声が上がります。この映画の音楽はこういうことです。

映画二本分、勝手な感想を書かせていただきました。共通して言えるのは「弱者に対するまなざし」であったり「赦し」だと思います。カンタ!ティモール上映会後に、その日のお客さんが車座になって一言づつ感想を述べあう、シェア会の時間がありましたが、僕はどうもそういうのがイマイチ苦手なので後片付けで忙しいフリをして輪の外側にいました。なので、ここで書かせていただきました。

カンタ!ティモール上映会は下記で確認できます。自分から動かなくてはなかなか見れる映画ではありませんが、是非!

カンタ!ティモール上映スケジュール
  小野  
 
2017.01.30
ときどき散歩をします。健康維持ってことで夕食後にウォーキングしたりすることもありますが、今回、日記でご紹介する内容は「路上観察」とか「街角探検」という感じの、どちらかと言うと好奇心を満たすことを目的とした散歩です。

せっかく天気のよい日曜日なので、散歩とはいってもちょっと遠出をしてみることにして、まずはクルマで名古屋の街中まで来てみました。名古屋の街中というと栄とか名駅とかが思い浮かびますが、今回は名古屋市役所近くにクルマをとめてそこから歩き出す作戦です。なにせ名古屋城周辺のこのエリアは(土曜日・日曜日に限りますが)路上駐車が可能なので、駐車料金を気にする必要がないのです。で、道路わきにクルマを停めて、念のため位置情報をスマホに保存して、あとは気の向くまま歩くばかりです。

名古屋の街中は碁盤の目に道路が整備されていて大都市の割りに交通渋滞も少なく、そのせいもあって表通り以外に入る機会もなく、ゆえに街の裏側がどうなっているのかほとんど知らない世界なのです。歩いてみると結構古い日本家屋もあり洋館もあり、その中には現在もお住いの家があったり、古い建物を上手に活かして小さなお店にしてあったり、ビルの谷間の社寺仏閣とか水路とか、けっこう人間臭くて面白い発見があります。碁盤の目の奥の方にスポットを当てた今回の旅が、あながち見当違いではなかったようです。

ところで、いつもこうやって日記を書く段階になって「写真がない」という事に気がつくのです。見てその場で納得してしまって、僕は「写真を撮る」というマメさに欠けているようですが、でも最近は「それもまあ良いか〜」と思うようになりました。なにせ大概のことだったらキーワードで検索すれば似たような画像が出てくるし、ましてや自分で撮るよりもはるかに綺麗なので、もはや資料として写真を撮りためる必要を感じなくさえなっています。

モノを「見る」という事は僕たちのようなモノづくりをする人間にとってとても大切なことですが、「見る」という事は「感じる」という事なので、印象が残ってさえいれば何かの時に何かと何かが結びついて何かが生まれてくれる(?)ような気がします。…ま、マメに写真を撮らない事の言い訳です。(笑)

名古屋のうだつでも実は今回はちょこっと撮ったのがあるのです。久屋大通公園からほど近い場所なのですが、小さな木造の店舗兼住宅の建物に上がった「うだつ」です。「うだつ」と言っても「美濃町のうだつの町並み」のような豪華で意匠をこらしたものではなく、必要最低限の実用重視で作った「うだつ」のようです。

角を竹割タイルで丸い表情にした、何となくキッチュなしつらえが目に留まって写真に納めてみました。昔のこの辺りには「こうした木造家屋が肩を寄せ合っていたのかなぁ」などと想像しながら歩くのが楽しいのです。帰ってから「うだつ タイル」などのキーワードで検索しても、同じような画像は出てこなかったので、撮影した甲斐があったようです。

名古屋城界隈から栄を抜けて大須まで、右に左にと寄り道しながらではありますが2時間で10kmほど歩きました。僕は人並み以上に歩くのが速いもんですから、このくらいのペースで歩いた方がストレスがたまらないのです。今回はひとり歩きだったので、自分のペースで思う存分歩きました。

で、最後はここ…愛知県美術館で開催中の「ゴッホとゴーギャン展」を見てきました。話題の展覧会なので混んでいるとは思ってましたが、想像以上にすごい人出でびっくりすると同時に、わざわざ足を運んで絵を見に来る人がこんなにいるってことは素晴らしいことだと思いました。ゴッホとゴーギャンの関係性や、影響を受けた他の画家の作品と見比べることができたり、とても分かりやすい展示でした。名古屋は3月20日までやっていますので、気になった方はぜひどうぞ。
  小野  
 
2017.01.24
住宅の新築工事のご依頼をいただくときに、古い建物の解体工事を伴うことがあります。いわゆる「建て替え」ですね。現在、名古屋で進行中の案件もそのような「建て替え」なのですが、古い建物がお隣の建物と近接していて境界線の確認もできない状態でした。しかも、双方とも昭和30年前後の建物なので法務局にも測量図などの記録はなく、とりあえず解体してから境界表示を探しましょう…ということで昨年末に解体が完了しました。しかし…建物がなくなった時点で敷地の角と思われる範囲をほじくってみたのですが、やっぱり見つかりませんでした。

そんなわけで測量してもらうしかないのですが、そもそも境界表示がないのにどうやって測量するのかというと…2軒分の境界がわかっている範囲をぐるりと測量して、まずは合計の面積を算出します。その2軒分の面積を、それぞれの登記簿謄本に記載されている敷地面積で案分して境界の位置を確定しよう…って方針です。最終的に算出された位置を現地にマークして、双方の同意が得られたら境界確定となります。

測量 で先日、土地家屋調査士の古田さんに測量をお願いしたのですが、なんだかすごく忙しいそうで相番のスタッフ(あの赤白棒をもつ人)がいないとのことなのです。こちらとしては境界がわからないと着工どころか建築確認も申請できないので、一日でも早く測量してもらいたいですし、人を探している時間がもったいない…。「棒を持つ係でしょ?」「もしかして、それって僕でもできるんじゃぁない??」…ということで測量デビューすることになりました!

僕は建築の学校を出たわけじゃないんで測量実習とかの経験もないのですが、簡易的な測量は自分たちでもよくやるし、測量士さんからもらった測量座標の数値から敷地図を作図したりもしているので理屈はわかっているつもりです。ただ僕たちが使うような巻き尺とはぜんぜん違っていて、プロが使うン百万円の測量機は精度も機能もすごいですね。精度が良いということは、測量のポイントとなるプリズムをいかに正確に保持するかで出来上がる測量図の誤差が大きくなるか小さくなるかが決まるわけで、かなり重要な役を申し出てしまった訳です。

測量のプリズム僕が持つのはこのプリズムなのですが、傾けば傾くほど誤差が大きくなるので、ポイントに対して垂直に保持しなくてはいけません。この写真のように十字溝が切ってある表示ピンなどだったら位置決めも楽なのですが、縁石ブロックの角なんかで面が取ってあったり側溝の角が欠けていたりすると、そもそも位置を決めるのが難しくなってきます。

その上、測距完了までのわずかな間ではありますが、まっすぐに保持した状態をキープするのはなかなかしんどい作業です。ただ棒を持って突っ立っているってわけにはいかないんで、全身を利用してプリズムを安定させる工夫が必要なんです。

この日は基準点を変えながら約200近いポイントを測定しました。古田さんからは「小野さん、さすが勘がいいね。やりやすかったですよ」との評価をいただき、まぁ無事に役割を果たせたようです…。それにしても、じっとしているのがこんなに疲れるとは…現場状況にあわせてけっこう不自然な態勢でプリズムを保持するってのは、なんというか軽くヨガっぽい静の運動みたいでした。
  小野  
 
2017.01.12
モザイクタイルミュージアム2017年最初のお出かけは多治見モザイクタイルミュージアムに行ってきました。昨年オープンしてから行ってみたい場所ナンバー1だったのですが、近いのに…近いせいか、なかなか行く機会がなく、ようやく年明けの雨の日曜日にプチドライブに出かけてきました。

ここ、もともとは「モザイク浪漫館」という資料館だったところが、藤森照信氏の設計で「モザイクタイルミュージアム」として生まれ変わったところです。建築好きの方でしたら聞いたことある名前かと思いますが、独創的な…絵本から出てきたみたいな建物をつくる方でして、四季の家工房でも藤森建築を訪ねる旅行を何度かしてきましたが、今回は県内ということもあってより親近感が湧いてくるのです。

すり鉢状の窪地とおにぎり山…おにぎり山の稜線にはひょろひょろと木が生えていて、陶器の原料となる粘土の採掘場をイメージしたのでしょうか…第一印象は建物というよりなんだか地形を見ているような不思議な感じでした。S字のアプローチをたどってすり鉢の最下部まで下りて行ったところがミュージアムの入り口なのですが、いいですねぇ〜…このわくわく感!

そして、来場者を楽しませるこの演出の陰には、かなり慎重に雨排水の処理を検討しているのだろうなぁ…と建築屋的にそんなところにも感心してしまうのです。でなけりゃ、ゲリラ豪雨とか来た時には全ての水を館内に導くような地形なのですから、きっとエントランスのポーチの六角形の敷石の下にはその仕掛けが隠されているのでしょう。

外壁は泥を塗りたくったようなラフな表情の中に、茶わんのかけらなどがこれまた割と大雑把な感じに埋め込まれているのですが、一部分を見ると大雑把なのですが、全体には縦・横・斜めのラインが規則正しく揃っていて、この対局のイメージが自然界の秩序を感じさせます。ラフな土壁も、実際には土ではなくセメント系の固化剤を使っているとは思いますが、地面と建物の境を感じさせないような、昔からここにあった地形に人が人力をつくして手掘りした原始土木と建築の中間のような、そんな不思議な感覚になってしまいます。

で、視線が持ってかれる先は小さな庇が付いた小さな出入り口…とぼけた形のこの扉は、虫喰い穴のようでもあり巣穴の入り口のようでもあり、ここを出入りする人間は蟻ンコのようでもあり、とにかく「カワイイ」としか表現できません。中は風除室になっていますが、ここが狭くて傘をたたむ人や傘をさす人でごった返してしまいますが、まぁそんなことはどうでもよくなってしまうほど心を持っていかれるエントランスです。

300円の入場料を支払い順路の4階に向かうのですが、ここは是非階段を使っていただきたいところです。自然光が降りてくる中2階の踊り場から上を見たところが素晴らしい!まるで洞窟?それとも登り窯?手摺りの細かい造作や各階の展示室への出入り口の扉まで、すべてに温度を感じます。…展示物もよかったですよ。良かったけど…写真は外観の一枚しかないので、気になる方はネットで探してみてください。いろいろな探訪録が出てきますよ!尚、モザイクタイルミュージアムの基本情報は公式ホームページをご確認ください。

建築屋にとってはタイルというとやや値の張る材料なので、提案したのにコストダウンで削られてしまった…という苦い経験が一度や二度ではないのですが、こういう展示を見てタイルの良さがわかってもらえたら採用の機会も増えるでしょうね。

タイルを使った仕事 タイルを使った仕事ついでながら…四季の家工房のタイルを使った仕事はこんなのがあります。タイルはあそび心があって楽しい材料です!
  小野  
 
2017.01.01
あけましておめでとうございます。

アメリカの大統領が交代したり、オリンピックの準備が本格化したり…今年も大きな波が予想されます。四季の家工房は波にのまれることなく、作り手として「自分たちのできることで、お客様に喜んでいただく」ことを一番に考えて家づくりに邁進いたします。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
  小野  
 
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四季の家工房
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